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20世紀の宝物を掘り出そう!

幻の名曲「四季の新潟」(1)

幻の名曲「四季の新潟」(2)

幻の名曲「四季の新潟」(3)



幻の名曲「四季の新潟」(1)


1 春はうらうら 日和山
  雪の弥彦も 霞に溶けて
  枝垂れ青柳 風吹きゃなーびく 
  あだな 西堀東堀

2 夏はすずかぜ 天の川 
  うちわ片手に 万代橋を
  おけさ踊りに つい夜も更ーけて
  別れ涙の 寺泊

3 秋は稲穂の 信濃川 
  早もう帰るか 港のつばめ
  便りまちまち 今年も暮―れりゃ 
  やるせないぞえ 岳(たけ)まわり

4 冬は雁木に 積もる雪 
  口説半ばに 窓の戸開けりゃ
  佐渡は寝たかよ もう灯は見―えぬ 
夜の出船に鳴く千鳥


この歌は、1934年(昭和9年)に作られた名曲です。
作詞西條八十、作曲 中山晋平という 当時のゴールデンコンビの手で作られました。
今は失われつつある、春夏秋冬の新潟らしい情緒が織り込まれた歌詞に
ゆったりとしたメロディがつけられた情緒あふれるいい歌です。

しかし、新潟の市民の方々が、この歌の存在すら知らない人が圧倒的に多いのです。
不思議といえば不思議な話です。その意味で幻の名曲といってもいいでしょう。
かくゆう私もその中の一人でした。この歌の存在を知ったのは2003年、東京にいる
叔父さんと電話していて、この歌の存在を知りました。
叔父さんに電話口で歌ってもらったら、いい歌だったので、俄然「四季の新潟」
という歌に惹きつけられ、強い関心をもつようになりました。

いろいろ調べていくと花柳界では昔から歌われ踊りもある。新潟大学(旧姓新潟高校)の
学生寮である六花寮では、この歌は寮歌の番外編として愛され歌われてきたということが
解ってきました。しかしながら、一般の新潟の市民はこの歌を知らないのです。
なぜなんだろう?という疑問がいまだに解けません。

新潟県荒川町出身の美人の誉れ高かった演歌歌手村上幸子さんは1990年に若く
してなくなりましたが、実は村上幸子さんが、この古い名曲をカバーリングして
CDに吹き込んでいました。歌はなぜかヒットしませんでした。

最近、この歌のテープを入手することができました。スローテンポな曲で、
情感たっぷりに歌いこんでいる素晴らしい仕上がりになっています。

「四季の新潟」の復活の夢が現実になったら嬉しい。こんな思いをもって何人かの
知人・友人に、この「四季の新潟」の話をしてきました。
私の話を聞いてくれた人たちは、異口同音に「一度その歌を聞いてみたいですね」
と興味を示してくれました。そうです。みなさん聞いたことがないのです。

そこで、「四季の新潟」の歌を聴いてもらう機会を作ることにしました。
2005年4月6日(火)午後3時と日程を決め、つながりのできた人たちに呼びかけをした
ところ、なんと連絡した方々全員の方が忙しいなか駆けつけてくれました。

会場はNPO法人made in 越後の事務所。集まってくれた人は、高岡奈央さんの
マネージャー、アナウンサーの小野沢裕子さん、made in 越後の代表真島さん、
そして遅ればせながら、小出町の役場から八海さんが駆けつけてくれました。

みなさんとご一緒にラジカセを囲んで、音楽に耳を傾けてもらいました。
情感こもった村上幸子さんが歌う「四季の新潟」を始めて聞く人がほとんどでした。
それにしても、新潟の情緒が歌われているこのいい歌を、なぜ一般の市民の方々が
知らないのか謎が残ります。村上幸子がこの歌を吹き込んでいなかったら、まさに
新潟市民は宝の持ち腐れをしたことになる、と私は言いたい。

その後に熱い対話が交わされたのはいうまでもありません。楽しいひと時でした。
新潟日報からはカメラマンと記者が訪れ、その模様を取材していきました。

(余談)
当日、小出町役場の八海さんが村上幸子全集というCDを持参してくれました。
その中に「越後自慢」という歌を聴かせてもらいました。タイトルは民謡や音頭を
思わせますが、曲想は「青葉台恋歌」を連想するとってもさわやかなメロディーで
同席した全員の方々が始めて聴いて、みなさんがいっぺんにほれ込んでしまいました。
新潟県内の地名がでてくる歌詞は星野哲郎さんの作詞。いわばご当地ソングですが、
この歌も「四季の新潟」と共に復活してほしい歌です。

幻の名曲「四季の新潟」(1)

幻の名曲「四季の新潟」(2)

幻の名曲「四季の新潟」(3)